ダッカ:ランプラーの工房から
突然、ダッカにあるランプラーという場所の家の持主からオファーがありました。
バングラデシュの品質の良い製品を作りたいと切望している方でした。
日本に25年間住んで、レストランも持っておられる方ですが、
そろそろ故里に帰ろうかな、というモードでした。
ランプラーという場所は、アメリカ大使館の道路をまっすぐに10分ほど
車やCNGの乗り物を走らせると着く場所です。と、いうようなあいまいな表現が、
ダッカの交通事情を加味して説明すると一番適切であるような気がしています。
公共の交通機関が使えない私たち外人にとっては、それでも足を確保するのが、最大の難事です。
その家は5階建てで、3階の2間続きをお借りしました。
ご家族の方たちがその建物で生活し、1階は弟さんが営んでいる印刷工場です。
空いている部屋はテナントに貸しています。
そしてまずは4人の縫い子さんと3台のミシンと大きな仕事用のテーブルだけから出発いたしました。
こちらが何回か依頼したことがあるテイラーが、事情があって経営状況が悪くなっていた矢先で、
彼女は自分の工房の縫い子さん2人を連れて来ました。
あと一人は、家主さんがスカウトしました。
全員女性で家主のアブールさんは男性です。
なんと、彼のレストラン開店時に、サクラ・モヒラを始めた元駐日バングラデシュ大使ハク氏が、
彼のレストランのテープ・カットをしていたという縁が判明し、皆、驚いてしまいました。
今回の滞在は短かったのですが、皆、休みを返上し、残業をして習得しようと努めてくれました。
疲れて老け込んだ顔の中で、
「もう一ヶ月いてくれたら、もっとちゃんと習えるのに」と言ってもらったのが一番嬉しかったです。
最後の日は皆が申し合わせて、カレーやご飯を持ってきてくれました。
それで、打ち上げランチをしました。
そのようなささやかな出発ですが、製品は日本でも通用するレベルになるだろうと思います。
パターンの読み方、補強の仕方、計り方などすべてを一から始めました。
共に作業をしながら、わかったことですが、彼女たちは既製服メーカーに勤務していながら、
きちんとできるのはミシンが使えるということだけでした。
それで、これまでの不満の製品に対して、数年間の疑問が解けました。
彼女たちにしてみても、機械の歯車のようにひたすら枚数を仕上げるために
ミシンを踏み続けるよりは、丁寧な仕事がおもしろかったようです。
さて、この先、どうなることでしょうか。
私がこのプロジェクトをなんとか成功させたいと思うのは、本来の目的の他に、
ここで村の女の子のトレーニングができるということです。
変りつつあるバングラデシュの中で、もう、手に職をつけて自分で稼ぐ、という時がきています。
2010年のお年玉として、神様にお願いしたい祈りです。
実は神様の悪口も随分言っているけれど、それは水に流してもらい、
応援のお年玉、どうぞこのプロジェクトに届きますように!!!
初めて作ったジャケットと4人の縫い子さんたちとデザイナー
|