上の写真は浅野博之さんが弟たちと呼んで、学費を提供してくださっている学生たち2人とハク夫妻である。4人の嬉しそうな顔をご覧下されば、説明の必要はないだろう。アルバイトを減らして勉強が続けられるようになった二人は、少しふくよかになり、見た目にも感じがよい。成績も申し分ない結果だった。毎日7時から11時まで勉強するそうだ。私のダッカ滞在中に2回会いにきてくれた。一回目は、ナラヤンプール村出身のダッカ大学にいる友人を連れて、2回目は私の帰国の日に浅野さん宛ての手紙も持って。ポケットに大切そうに浅野さんの写真入りの手紙を入れていた。二人ともホッサン君だが、7人、8人の兄弟姉妹がいるそうだ。毎月、バスでナラヤンプール村に帰省し、その時アンワー・ホッサンから手渡しでお金を受け取るということである。バスだと片道6時間の旅だ。
バングラデシュの経済はいいそうだ。確かにダッカに行くたびに新しい店やレストランが開店し、車の数は増え、活気のあるメガシティに発展している。そろそろ世界の最貧国の汚名を返上する時期にきているということだ。
ダッカから荷物を日本に送るために家の近くの郵便局に行ったら、機械が故障してEMSは取り扱わないということだ。長い客の列の中で、機械を扱う仕事の人たちは自分の仕事がないので、客と目をあわさないようにしてひたすら座っていた。もうひとつの近くの郵便局に行ったら、ここは暴動が起こりそうなほど満員で人が建物からあふれ出ている。だが係の局員は一人で、手書きで外国宛ての郵便物の対処をしている。いつまでも順番が来ない状況に、堪忍袋の紐が切れてしまった客が怒り始めた。すると局員は仕事の手を止めて、それに応じ始めた。他の客は「仕事を続けろ!」とあちこちで怒鳴る。暴動が起きて、日本の新聞に私の死亡記事が載るのではないか、と恐れたほどだ。たかがEMSで送る手続きに3時間以上を費やして、オートリクシャで帰ろうとしたら、運賃をふっかけられたり、乗車拒否にあったりで交通の手段がない。付き添ってきてくれたハク家の手伝い人マレク君がバスに乗ろう、と提案した。初めて乗る市街バスで、ミニバスより少し大きめだ。乗っていたら、ボディがはずれて、人がバンバンたたいてはめ直した。よく見るとボディはほんとにでこぼこだ。座席もほんとにぼろぼろだ。無料なのかと思ったら、マレク君は郵便局で必要なのりを買いに行き、そのおつりで2人分のバス料金を賄ったのだ。動いているバスから乗り降りするのだ。帰宅して報告したら、ハク夫人にさんざん叱られてしまった。バスにはランクがあり、私たちが乗ったグラミンバスは最低ランクで「悪い人たち」の交通手段だということだ。彼女は市街バスには乗ったことがなく、マレク君たちは病気になると、働けないから「バス」で実家に帰るのだ。
サイクロン「シドル」のその後は、胸に堪える。被災者たちはとりあえず生活を復興させたものの、被災地では10歳過ぎたばかりの女の子が結婚させられて、親孝行をしているそうだ。だが、それに対して、地元の男性が、「教育を受けさせよう」とボランティアで教育を始めたという新聞記事もあった。
ダッカのスラムの住人が自らの毎日が被災者状態の生活であるにもかかわらず、皆で協力して、トラック1台分の食料と衣料品をブラックという地元のNGOを通して、被災地に贈ったという新聞記事が大きく載っていた。ひところは、中間の役得者が救援物資を懐にいれると、マスコミがこぞってあばき出したものだが、バングラデシュ市民の中から正義も生じているようだ。日本の人たちが騒ぎ立てるほど、バングラデシュの人たちは不正、不正と鬼の首でも取ったように狭く捉えておらず、事実に対処するべくさまざまな行動をしているようだ。右上の写真は1月訪問の際にサイクロン被災者に寄付をした時の領収書である。都市の銀行などに専用窓口が設けられていて、市民がそれぞれに寄付をしていた。日本からの大口寄付の私は、ロビーの人から笑顔の「さようなら」を頂戴してドアをでた。
日本の途上国経験ある人たちが、ご親切から私に「騙されるな」という注意をくださったが、私は自分の村の人たちやダッカの人たちとの8年の交流の中で、日本に流布する途上国に関する話は、少し違うのではないかと思い始めている。省みると、騙されまいとして、日本の基準で裁きすぎたのではないか、と感じることが多々である。へたにりこうぶらずに、だまされてもいい、と開き直って、あたりまえの信頼関係で行動した方がむしろ人間の関係がうまく運び、よい結果を生みやすい、というのが私の実感である。
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