ハク夫妻が、私たちの帰国1日前にインドに経ち、私たちはふたりに「いってらっしゃい」と言ってからその翌日、手伝いの人たちに見送られて彼らの家を出た。そんなに現地の生活に溶け込んでしまうなんて……いつのまにか過ぎていった時の経緯が不思議に思われる。
ハク家の住み込みの手伝いの人たちは3人だ。12歳のミジャン君と19歳のマレク君がカジュルメとして家事全般を手伝う人、マルファさんという20歳の女性がバブルチといって料理をする人である。ミジャン君はお母さんがよその男と出て行き、マレク君のお母さんは離婚、マルファさんは10代の前半に結婚したものの何かの理由で出されたらしいのだが、本人は決してその事を言わないのだそうだ。私がベンガリ語の基本用語を勉強していたら彼女がそれを時間をかけて一生懸命読んでいる事実から察して、学校に行くチャンスもあまりなかったのかもしれない。皆、そのような若さで、他人の家に住み込み、ほぼ24時間働く体制の中にいる。親が結婚相手を決めて、女の子は呼び戻され、男の子はもっと収入になるような職場に移ることもあるし、奥さんと離れてまた働くということもあるようだ。皆、なにかしらの事情を抱えている。
どこの家でも一人がやめて、次に住み込みに入ってくるのは、まだ子どもである。ご主人さまの留守のつかの間にテレビを見て、リラックスしてすごしている彼らはどこから見ても普通の子どもにすぎない。
それぞれが、それぞれの人生をかかえながら、この地球を埋めていることがなんだか、とても、とても不思議な気がする。それにつけても、ハク氏に引っ張られる形で始まったこのサクラ・モヒラ・トレイディングも、何の因果か今は私が引っ張る形で進んでいかざるをえなくなった。
当初、日本側があまりにも、だまされた、とか、賄賂ばかり取る、とか、彼らは怠け者だという類の話ばかりをするものだから、私は何もわからないままその気になって、村のそのようなことに目を光らせてメモしていたら、ハク氏が雷を落とした。「そのようなどこかのジャーナリストが重箱の隅でも突っついて書くようなことをオマエも書いて、新聞にでも発表するのか。自分の感じたままを、自分の言葉で書いてみろ!」何度、どなられたことだろうか。
幸い、涙や怒りも交えながらにしても、こうしてプロジェクトの進展の報告ができることを嬉しく思う。
3年間が経過して、今も継続できていることに驚きを感じながら、皆様のご理解、ご協力に深く感謝します。いきづまっている時、どなたかが、どこかから手を差し伸べてくださいました。ほんとにありがとうございます。
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きれいな手仕事の小物やショール、スカーフがサクラ・モヒラの製品に加わることになりました。現地の女性たち、障害者の人たちが制作した物です。また。今回はトレイニングがなかった分、マーケットの探索ができ、地元のリネン、木綿の上質の素材を見つけ、製品として加えることにしました。6月末頃に第6回目の展示・販売会を予定していますので、楽しみにおまちください。また、サクラ・モヒラの製品の一部が量産可能になりましたので、委託販売なども考え始めています。どなたかお心あたりがある方はご一報くださるとありがたく存じます。
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