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No 16. August 20〜31, 2011 ラマダンとイードのお祭りの時

ダッカ・スターモスクのタイル
その昔、われたビンや陶器を使って、
モザイク模様を作ったのだそうだ。
タイルの模様のあれこれを見ていたら、
われたビンや陶器でこのような物を
作ってみたくなった。

ラマダンの時の瞑想の人たちが数人、
神との対話をしていた。
じゃまをしないように、そそくさと帰ってきた。

 

 覚悟が必要だった。必死で避け続けたラマダンの時に、今回はばっちり重なってしまったのだ。断食はともかく、仕事の能率の悪さを考えると、避けたい時である。こちら側もさまざまな条件をかかえて時間の都合をつけていくからには、能率をあげたい、と思ってしまうのだ。だが、ラマダンの時も体験するのはいいことかもしれない、と自分を説得して、今回のお客さま方にもお断りをいれておいた。ある方に相談したら、犯罪が少なくてかえってよい、という答えが返ってきた。お腹が空いていて機敏に動けないし、神様にお祈りを捧げる時なので、犯罪が減るのだそうだ。10数年を振り返ってみるに、街で犯罪に会ったことも会いそうになったこともないから、なにがどこまでほんとうか、分からない。偏見や噂にしたがって動くことはやめよう、と自分に言い聞かせた。
 わかったことは、ラマダンで能率があがらない、というよりは、その後に続くイード・ムバラクのお祭りがあるため、人々は休暇の準備にてんてこ舞いなのだ。多くの人たちはたくさんのお土産をもって、両親、家族、親戚が待つ故郷に帰る。そのため、物価は高い。交通もオイルも、食物も、ギフト用品も高い。果物も高い。サラリーだって高く払わなければならない。この時期を乗り切るために、私の工房の人たちも、ボーナスをあてこんでいるのだから。新聞の1面に、汽車やバスのボディにぴったり張り付いて帰省する乗客たちの写真がでていた。数倍の交通費を払って、命がけで故郷に帰るんだ! この報道写真は感動さえも呼び起こす。リクシャ引きの労働をする人も、飲まず食わずで、朝から6時半の断食明けアザーンまで仕事をする人もいるようだ。だが、労働者が食事をするための屋台は部分的にカーテンを張って、その陰に入れば飲食はできるようだ。断食をしない人たちも質素に食べる。断食をしている人に失礼のないように、という配慮だ。国際的なホテルや、レストランでも食事はできるが、メニューは限られていて選べない。企業のマネジャーたちも断食をしていた。私たち日本人に炭酸飲料とポテトチップスやビスケットを、「遠慮せずに食べろ、食べろ!」と勧めるばかりだ。居心地悪く、炭酸飲料をぐっと飲み干した。工房のお針子たちは、ほおがこけ、目だけが大きく、うつろである。断食期間は、3時半で仕事は終了だ。細身の1人は、断食中に倒れてしまい、この奉納を断念。だが、果物と水だけの質素なお昼で済ませていた。外資銀行に行って「火曜日は開いているか」と問うたら、分からないという返事だ。思わず聞きかえしてしまった。後でわかったことだが、29日に月が見えるか、見えないか、で断食の終了が本部で決定されるそうだ。終了と同時に「イード・ムバラク!」のおめでたい挨拶が交わされ、その日は祝日になるというわけだ。家庭の住み込みのお手伝いの人たちも、主人も、街の人たちも、断食が解禁になる6時半には平等なメニュでお腹を満たし、数時間の空腹を埋め、ほんとの夕食に備える。ショッピングモールの中で、アザーンが流れたとたんに、床に敷物を敷いて、働いている人たちが一斉に食べ始めた。見知らぬ国に足を踏み入れたガリヴァ―さながらの体験であった。どの家もメニュは同じで、断食の胃を緩和していた。なによりも、常はひどい渋滞の道路が空いていて、2時間の行程を17分で完了できた。やったね!

 


 

 サクラモヒラのレポートをお読み下さっている方たちには、上の写真は新しく写されたものであるにもかかわらず、いつもと同じ見慣れた場面にちがいない。10年を過ぎて、どうしてこうも変わらないことができるのだろう。電気もまだない。音楽の時間もハーモニアムの演奏も変わらない。同じ先生たち。だが、その中で変化したものをリストしてみよう。子どもたちは制服を着るようになった。校長先生が、「制服がほしい」と言ったためだ。着るものがないと、学校に来ない子がいることを彼は気にしている。校庭に植えた果物の木は大きくなった。本が増えた。新しい校舎が増設された。12年前に夢に見た、子どもたちが校庭の木から果樹を食べ、果樹の木陰で本を読む場面は現実になるのだろうか。マンゴウ、ライチ、ジャックフルーツなど良質の苗をダッカで買って校庭に植えたのだ。そろそろ実が来た、というニュースがあっても良い頃なのに。先生たちが年齢を重ね、校長先生の髪が白くなった。旧校舎が古びてきた。特に雨季のあとでは、くすんで見える。子どもたちは、入れ替わっている。顔見知りの子は、何人いるだろうか。何人の子が、学校を終了せずに、都会の住み込みのお手伝いになっているのだろうか。学校の教育レベルは上がっている。親たちが教育に関心を持つようになった。アートの教師が野心的に子どもたちを日本に連れて行ってもらいたがっている。サクラクレパスもほしがる。ハーモニアムを弾く子が増えた。音楽の教師は野心的ではないけれど、地道に地元の音楽を教えている。今回は、ラマダン中で、この時期学校は休みなのに、村の世話係アンワー・ホッサンが、子どもたち60人くらいと教師を全員集めてくれていた。毎日の時をここで過ごしていないから、見えることからある程度の想像はつくにしても細かい生活のことはわからない。子どもたちの顔も10数人しか知らない。

 ダッカから車を走らせて、村の小学校が見え始めるあたりにさしかかると、毎回同じように、私の心臓は高鳴る。加齢とともに、心臓も弱くなり、ここでこの世に別れを告げるのかもしれない、と不安になるほど強い振動だ。校庭に並ぶ子どもたちを見ても、喜びか不安かわからないエクサイトメントはさらに大きくなる。ゲストの方たちも目をうるませている。あたりまえの光景にすぎないのに。その当たり前の光景は、子どもたちや教師たちや、村の人たちの心尽くしで織りなされている。なにかとても一生懸命に、ただのことをしている。名前も顔も知らない子どもたちが日本のゲストにしてくれること。彼らの1人1人を愛することはないけれど、この村に微笑みがあることを私は愛している、と思う。レインツリーの道と果樹の校庭と子どもたちと村の人たち。あと何回、同じ光景に身を置くことができるのだろうか。そして何が変わっていくのだろうか。

 ダッカからナラヤンプール村に至る長い道中は、やはりガリヴァ―の旅行記に似ている。この季節はちょうどジュート麻の収穫の時期で、ジュートの苗が植わっている様子、道ばたに干している光景、皮を剥ぐ作業をしている家族、剥いだ皮が、橋の欄干に白く干された様子を見ることができた。ジュートの間引きした苗は、市場に売られて食用になるそうだ。少し苦みのある味だという。
 環境が意識され、ジュートの栽培は好調になった。バングラデシュの気の利いたお店のお包みバッグはジュート製で、とてもおしゃれだ。ひところ、ジュートを栽培する農家の人たちは、ロープなどのジュート製品が人口繊維に変わるとともに、重要が落ちて、存続の危機に晒された。サクラモヒラの仕事を通して親しんでいるある方は、ジュートの栽培農家、折り職人、製品加工の人たちを組織し、数年が過ぎた今、ジュートの製品をとてもおしゃれなデザイン製品として、主にアメリカ、香港、ヨーロッパに売り出すことに成功している。時々お会いするけれど、いつも段ボールの荷物を高く積んで、それを軽々と運びながら、空港を歩いている姿が印象的で、彼の姿はオフィスでお話をするときでさえ、段ボールの荷物とともに連想できる。人々を大きく組織し、雇用を創出し、国の産業を繁栄させている彼のような人は、マジョリティではないけれど、私の知る限りでも何人かいて、途上国なればこそ生じた類の人たちかもしれない。このような人たちと過ごす時間は、お茶や食事を共にするという短い時間であるけれど、心が満たされて途上国の大きな魅力である、と断言できる。

 私の村の子どもたちも、やがてさまざまな未来を持つだろう。9人の奨学生のうち、最年長のモニールが9月でダッカ大学を卒業する。大学院に進むようであるが、ひとまずは奨学金を終了することに決めた。大学院は自力でやってごらん。

 


 

 ナラヤンプール村のサクラモヒラの仕事場は、少々低調であった。ミシンと仕事場はあるけれど、10年の進歩は、かたつむりよりゆっくりだ。しかし、それなりの理由はある。村の女性たちは、いいものを見る機会がない。お金もないから、安い物を買う、ということは考えるけれど、いい物、ということは生活の要素の中にはない。教わる機会もない。結婚が早く、考える機会が少ない。教育も識字程度である。
 どうしたものかと思案にくれていた矢先、国際ソロプチミストの弥生リージョンから、サクラモヒラを通して女性の自立を支援したい、という話をいただいた。それで、村の女性2名をダッカによびよせて、指導するという企画をたてた。どこで?どうやって?課題になっていたが、幸運の女神に感謝!実現への道が開いたのだ。
 マイクロクレジットのプロジェクトを終了した経緯は以前のレポートに書いたが、なんとそのシードマネーが全額返ったのだ。さらにずっと以前にナラヤンプール村を題材に小さな話を書き、賞金をもらっていたのだが、二つのお金を会わせて、敷金と1年分の家賃を賄うことができる額になった。その場所は偶然の経緯で準備されていたかのごとく、近づいてきていたのだ。サクラモヒラのお客様がダッカに、現地の人を通してマンションを2棟持っていらしたのだ。その現地の方で、シラーズさんという大家さんは、日本で受けた恩を忘れることができず、日本人に恩返しをしたいと思っている方で、大歓迎でサクラモヒラを応援してくださることを楽しみになさっている。おりしも7階にあるアパートメントが9月から空くことになっていて、その場所を確保したというわけだ。シラーズさんは今回のナラヤンプール村の旅にも、日本人のオーナーとともに同行してくださった。場所はダッカのビジネスの中心地で、広いスペースなので、村の女性たちの技術養成のほかに、ダッカの女性たちにもなにかができる場所として考えている。どのようにトレイニングが始まっていくのか、またダッカの新しいオフィスがどのように社会に貢献できていくのか。新しい展開を見守ってください。あたかも背中を押してもらうように、国際ソロプチミスト財団の、「社会ボランティア賞」に入賞し、このプログラムが時の流れの中で必然である、と言われているように感じ始めています。また、ダッカで、女性たちを組織して手仕事の製品を生産しているラズマットさんとも、仕事の手を結ぶことができ、彼女にも関わってもらいながら、ダッカのプログラムをスタートします。

 


 

 ダッカの工房は、”てんやわんや”がひとまずおさまり、なんとかコンスタントに稼働できるようになった。お針子のヌルジャハンとナルギスは、それぞれに持ち味が違い、ヌルジャハンは、まずはミシンを動かすタイプ、ナルギスは事務系が得意である。
 5月から注文制に変え、工房の責任者が彼女たちの面倒をみることになった。サクラモヒラは、注文を出し、指導はもちろんするけれど、注文の支払いをする、という形にして、給料制は終了した。人員を増やすも、地元の注文をこなすも、工房の責任者次第であり、彼の利益は彼が作るべく、努力をお願いする。彼の経営の助けになるよう、サクラモヒラから立派な「認定証」をだすことにした。立派な、と表現したわけは、製作をプロにお願いしたからだ。それぞれの顔写真が入った認定証である。

 お針子の二人は実力に伴い、プライドも身に付け、良い仕事をしていきたい、と切に望んでいる。以前のように、ただ縫って生活費を稼ぐ、という段階は過去の話になった。注文、がんばってだすからね!

 工房の運営に関しては、書きたいこともたくさんあるし、後に続く人の参考になる話もたくさんあるが、まだ話せないという部分もあり、奥歯に物がはさまった印象をいだかれても仕方がない。だが、縫製技術がバングラデシュとは思えない製品がコンスタントに送られてくる、という事実をどうぞ評価してください。販売会をお楽しみに!
  イスラムさんは日本的な感覚を持ち合わせた方だ。誠実な職人さんで、着実に外国に自社製品の販売実績をあげている。サクラモヒラとの関わりは深まっていて、こちらの販売力の乏しさが、胸をちくちく刺すけれど、イスラムさんはこちらのデザインの提供を喜んでくださる。ジュートのバッグとペンケースが、革のバッグとともに届きます。こちらもお楽しみに。

 

 今回のダッカの旅では、いくつかのニットの工場を訪ねることができた。ユニクロのオフィスにもお邪魔した。Tシャツの工場は、アメリカで大学を卒業したり仕事をした経験のある人が、自国でビジネスを立ち上げることが多く、経営者の年齢も若く、工場のシステムも、アメリカの現代的な設備を備えていた。ある工場では、500人の雇用をかかえていて、私たちが訪問したのはイードのお祭りの休暇前だったので、500人の従業員がボーナスをもらうために列を作っていた。サクラモヒラが関わってきたのは、伝統的な手仕事の製品を作る場所がほとんどだったので、新しいスタイルに新鮮な印象を受けた。ニット製品も、ヨーロッパからの有名メーカーからも注文が入っていて、品質は、目をみはるほどの早いペースでよくなっている。工場でいただいたTシャツを洗ってみたけれど、ゆがみも出ず、これなら日本でも通用するだろう。一様に、工場の経営者が口にするのは、日本からの注文がまだ少ない、ということだ。日本の買い手の要求するところがわからない、ということも原因であるようだ。なんだかんだと言っても、バングラデシュは、西洋に近い体格や文化圏だ。彼らにしてみれば、あこがれの日本なのに、日本の食指はデリケートで、なかなか積極的には進みださないようである。

 イードのお祭りも楽しかった。朝から人々が人を訪問しあい、人の交わりを楽しんでいる。私も敬愛する方を朝から訪問して、お食事をご馳走になった。イードのギフトまでいただいてきた。彼女は、私財でスラムの子どもたちの学校を運営し、その学校をすばらしい水準に育てられた方だ。過去のレポートにも書いてあるけれど、モモタス・カレックさんは90歳になろうとしているのに、まだ外国旅行を楽しみ、1000人の子どもたちに愛を注いでいる方だ。
 バングラデシュに行って、大きな楽しみの一つは、モモタスさんのような方を初め、スケールの大きい魅力的な人たちと交われることだ。彼らと共にする時間のなんと豊かなことだろう。貧困はきびしい現実に違いない。だが、その中で育つ豊かな事がらもあるという事実に気がつくと、強い魅力に変わるから不思議なものだ。

 皆さまのご協力、ありがとうございます。サクラモヒラに手を差し伸べてくださる方たちが構成するすばらしい「組織にはなっていない組織」を両腕にかかえて、「ほら、見てごらん」と世界の人たちに見せたくなる時があります。信仰もないのに不遜を承知で、「神様、どうもありがとう」と思ってしまうのです。

次回のサクラモヒラの旅は、2012年、1月を予定しています。お問合わせをどうぞ。

 
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