サクラモヒラのレポートをお読み下さっている方たちには、上の写真は新しく写されたものであるにもかかわらず、いつもと同じ見慣れた場面にちがいない。10年を過ぎて、どうしてこうも変わらないことができるのだろう。電気もまだない。音楽の時間もハーモニアムの演奏も変わらない。同じ先生たち。だが、その中で変化したものをリストしてみよう。子どもたちは制服を着るようになった。校長先生が、「制服がほしい」と言ったためだ。着るものがないと、学校に来ない子がいることを彼は気にしている。校庭に植えた果物の木は大きくなった。本が増えた。新しい校舎が増設された。12年前に夢に見た、子どもたちが校庭の木から果樹を食べ、果樹の木陰で本を読む場面は現実になるのだろうか。マンゴウ、ライチ、ジャックフルーツなど良質の苗をダッカで買って校庭に植えたのだ。そろそろ実が来た、というニュースがあっても良い頃なのに。先生たちが年齢を重ね、校長先生の髪が白くなった。旧校舎が古びてきた。特に雨季のあとでは、くすんで見える。子どもたちは、入れ替わっている。顔見知りの子は、何人いるだろうか。何人の子が、学校を終了せずに、都会の住み込みのお手伝いになっているのだろうか。学校の教育レベルは上がっている。親たちが教育に関心を持つようになった。アートの教師が野心的に子どもたちを日本に連れて行ってもらいたがっている。サクラクレパスもほしがる。ハーモニアムを弾く子が増えた。音楽の教師は野心的ではないけれど、地道に地元の音楽を教えている。今回は、ラマダン中で、この時期学校は休みなのに、村の世話係アンワー・ホッサンが、子どもたち60人くらいと教師を全員集めてくれていた。毎日の時をここで過ごしていないから、見えることからある程度の想像はつくにしても細かい生活のことはわからない。子どもたちの顔も10数人しか知らない。
ダッカから車を走らせて、村の小学校が見え始めるあたりにさしかかると、毎回同じように、私の心臓は高鳴る。加齢とともに、心臓も弱くなり、ここでこの世に別れを告げるのかもしれない、と不安になるほど強い振動だ。校庭に並ぶ子どもたちを見ても、喜びか不安かわからないエクサイトメントはさらに大きくなる。ゲストの方たちも目をうるませている。あたりまえの光景にすぎないのに。その当たり前の光景は、子どもたちや教師たちや、村の人たちの心尽くしで織りなされている。なにかとても一生懸命に、ただのことをしている。名前も顔も知らない子どもたちが日本のゲストにしてくれること。彼らの1人1人を愛することはないけれど、この村に微笑みがあることを私は愛している、と思う。レインツリーの道と果樹の校庭と子どもたちと村の人たち。あと何回、同じ光景に身を置くことができるのだろうか。そして何が変わっていくのだろうか。
ダッカからナラヤンプール村に至る長い道中は、やはりガリヴァ―の旅行記に似ている。この季節はちょうどジュート麻の収穫の時期で、ジュートの苗が植わっている様子、道ばたに干している光景、皮を剥ぐ作業をしている家族、剥いだ皮が、橋の欄干に白く干された様子を見ることができた。ジュートの間引きした苗は、市場に売られて食用になるそうだ。少し苦みのある味だという。
環境が意識され、ジュートの栽培は好調になった。バングラデシュの気の利いたお店のお包みバッグはジュート製で、とてもおしゃれだ。ひところ、ジュートを栽培する農家の人たちは、ロープなどのジュート製品が人口繊維に変わるとともに、重要が落ちて、存続の危機に晒された。サクラモヒラの仕事を通して親しんでいるある方は、ジュートの栽培農家、折り職人、製品加工の人たちを組織し、数年が過ぎた今、ジュートの製品をとてもおしゃれなデザイン製品として、主にアメリカ、香港、ヨーロッパに売り出すことに成功している。時々お会いするけれど、いつも段ボールの荷物を高く積んで、それを軽々と運びながら、空港を歩いている姿が印象的で、彼の姿はオフィスでお話をするときでさえ、段ボールの荷物とともに連想できる。人々を大きく組織し、雇用を創出し、国の産業を繁栄させている彼のような人は、マジョリティではないけれど、私の知る限りでも何人かいて、途上国なればこそ生じた類の人たちかもしれない。このような人たちと過ごす時間は、お茶や食事を共にするという短い時間であるけれど、心が満たされて途上国の大きな魅力である、と断言できる。
私の村の子どもたちも、やがてさまざまな未来を持つだろう。9人の奨学生のうち、最年長のモニールが9月でダッカ大学を卒業する。大学院に進むようであるが、ひとまずは奨学金を終了することに決めた。大学院は自力でやってごらん。
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