10回目の旅となるダッカは、着地と同時に、見慣れた光景と匂い、無事に到着したという安心感から始まっていく。行くたびに物々しくなる警戒態勢、強面に構えた税関たち、蚊が消えた、というのがここ数年の空港内の大きな変化だろうか。税関を出て、先ず行き当たる為替の窓口の呼び込み合戦は、銀行らしい威厳はいずこにや、夜店の呼び込みさながらだ。一つだった為替の窓口もいつしか増えて、この呼び込み合戦は、まさにバングラデシュへの第一歩を実感する瞬間である。
バングラデシュの経済成長率はめざましいそうだ。街のあちこちで先進国並みの新しいビルの建設ラッシュが進行している。おしゃれなレストランも増え、もはや「中村焼鳥店」という漢字の入った車を見かけることもまれになった。街のあちこちで道路工事が進んでいる。機械は多くはないけれど、大勢の男たちがじりじりと照りつける太陽の中で汗を肌に光らせて働いている。私が歩いた街に限定すると、毎朝人がかいがいしく清掃をしていて、小奇麗になっている。自転車の数も少しずつ増えている。奥さん(だと思う)を荷台に乗せて朝の通勤時間の小道を自転車で風を切って商業区域に向かう男性を初めて見かけて、思わず振り返ってしまった。自動車も増えている。連れ立って歩く恋人たちも多くはないが目にするようになり、確実に変化が進行しているようだ。ハク家のお隣の家主が亡くなり、新しい主は広大な庭に柵を施して、鹿や孔雀を飼い始めた。世話をする男たちが何人か雇われている。ハク夫人が、「あの男は信用できる人です。だれも見ていないのに、真面目に餌を作り、動物に与えています」と居間の窓から見おろしながら言っていた。
ダッカの舞台には今やスポーツクラブも登場した。ハク夫人も会員になり、水中歩行運動をしてくるそうだ。プールは(多分ヨガなどの場所も)男性用、女性用が別になっているということだ。面と向かって訊けなかったけれど、イスラムの女性たちはどうやってプールで歩いたり、泳いだりするのだろうか。その間、彼らの運転手たちはじっと外で待っているのだ。これはゆっくりできる嬉しい時間なのか、退屈な待ち時間なのか、好奇心はそそられるが、なぜか訊きたい気持ちを押さえ込んでしまう。
ラマダンを控えた街のあちこちで、村に向かうバザールで、村の道で、引かれていく牛たちがいやでも目に入ってきた。牛たちはほふられるのだろうか。ラマダン前の金曜日、8日はハク家でも大忙しだった。数日前から大鍋で煮込んで準備を始めた甘い練り物4種をパンの袋の中に詰めて、隣近所、親戚、貧しい人たち100人くらいに配るそうだ。家中総出の作業に加え、配るためのおじいさんがどこからともなくやってきて手伝っていた。隣近所からも同じ甘い物が届けられ、墓参りの帰りに親戚が立ち寄っては縁を確かにしていた。翌土曜日は、夜を撤してのお祈りもするのだという。わからないまま聞いていたら、夜になって家事の手伝いをする2人の少年はモスクに行ったという。料理係の女性が、少し寝ては起き出して台所を中心に歩きながら神の御名を唱えては、お祈りをささげていた。そのようにして皆、祈り明かすのだそうだ。後で聞いたら、手伝いの少年の一人と料理係の女性は、その後2日間の断食に入ったそうで、しぼんだ顔をしていた。
新聞によると、男たちがそのようにして神の御前に罪を悔い、先祖の霊に祈りをささげる墓地では、お薦さんたちが幾重にも列をなし、悔い改めてさらに善となった男たちの情けにすがろうと結集するということだ。アラーの神が、この夜にその年の収入、財産、富を決定なさるという信仰があり、彼らも必死にならざるをえない。かくしてダッカの渋滞をさらに混迷に導く物乞い人の群れは、ついに警察の出番とあいなった。一方、金曜日の聖日、土曜日の祈りの祝日、日曜日のストライキ休暇と3連休を当て込んでのダッカ脱出旅の人たちも相当数いたようである。
ハク夫人はラマダンに100人の女性たちにサリーを贈るそうだ。彼女は貧しい人たちと言っていたが、親戚の女性たちに贈るサリーも準備をしていた。そして、なんと、今年はナラヤンプール村に2台、中古のリクシャを買ってあげるそうだ。二人の男がそれで稼ぎ、収入をえながら、リクシャの代金を払うようにすると目を輝かせて言っていた。こんなにいいことを重ねたら、彼女の人生は神の恵みに溢れ、ばら色に輝くに違いない。
ダッカの高い経済成長率の中で、停電は悪化する一方である。一番大きな被害に見舞われているのは外貨獲得の約80%をになう衣料産業である。10時間の労働時間は5時間くらいになり、いざ電気がきても、待ちあぐねた労働者たちはどこかに行ってしまい、仕事にならない。国際競争力がおちるばかりか、労働者のいらだちが爆発してストライキや暴動が絶え間なくおきている。驚いたことに生産に必要な車や設備にも火をつける。ライバル国のだれかが煽動しているのではないか、という疑いさえも出ている。自家発電を持たない一般の人たちは、冷蔵庫が冷蔵庫として用をなさない、インターネット・カフェでは、接続が途切れた客が支払いに文句をつける、朝の忙しい時間帯に1時間毎に停電になる等、不都合は列挙しきれない。原油高で石油燃料を敬遠し、プロパンガスで走行する車は所かまわず、突然ガス欠となり、スタンドで補給しようとするとそこには長蛇の列が待っている。そして順番がまわるまでには、3回か4回、停電をやりすごすはめになる。かくして、私たちのナラヤンプール村からの帰路は散々の結果になった。田舎道でガス欠。運転手がどこからかオイルを手配してきて、なんとかダッカに入ったものの、またストップ。また応急措置。そしてやっと行き着いた給油スタンドでは動かない車の列だ。しかもレンタル料金は半年毎の訪ダッカのたびに、上がり続けている。前金でガソリンの料金を払っているのに、このざまはなんだ、とハク夫人が動かない車内で、バスの運転手を叱りつけ、携帯電話でそのバスを手配したお抱えの運転手を叱りつけ、運転手の携帯電話でバス会社の人を叱りつけ、たっぷり3時間をユウイギにどなって、やっとガスの補給ができ、どこもかしこも家路へ急ぐ車で隙間無く埋め尽くされた高速道路をどうにか前進して、真夜中近くに、なんとか家にたどりつくことができた。人生はとどのつまりはなんとかなるものだ。その結果支障や不都合に対していかなる割引もなく、まともに請求されるレンタルバス料金を私がおとなしく支払ってナラヤンプール村への旅はブジに完了した。ハク夫人がスチームをあげながら言った。「このような状況では私たちはもう村へは行けません。ホッサンをダッカにこさせましょう」ホッサンさんは乗り合いバスを乗り継いで来るそうだ。
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