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No 9. August 3 〜 14, 2007

公園に咲く夏の花

パパイアの実

朝の公園の小道 ダッカ
公園のまわりで

 

 8年の時の経過が嘘のようだ。バングラデシュに関った8年は、時がすべるように過ぎたようにも思われるし、矢のごとくに飛んでいったようにも感じられるし、止まっていたかのような錯覚を覚えたりもする。何が変わり、何がそのまま残っているのだろう。

 バングラデシュの経済は上々だということだ。隣接国の経済発展が目覚しく、その恩恵に少なからず与っているようだ。ダッカには近代的なビルが次々と建ち、その屋根はお金がたまり次第増築できるように鉄筋を残しておく、というスタイルではなくなった。ユニバーサルなオフィスビルやレストランが建ち、その傍らで、10年前と同じ姿で、労働者たちがほこりの街をアルミのお弁当箱を持って歩いていく。車の窓から通行人を見ながら、「あの人は衣料工場の人」、「お掃除の人」等と元駐日大使だったハク氏が説明をしてくれる。その判断の根拠を問うたら、着ているもので判断できるという答えだった。なるほど、彼も夫人も家を出る時はいつも絹の服に着替えている。それを聞いて以来、たかが買い物だからといって、家庭着でそのままという気楽な態度を反省し、服を改めて出るようになった。

 ハク夫人の親戚筋の結婚式に招かれることになった。婚約パーティ(これは欠席)に始まり、花嫁、花婿のそれぞれの家でのターマリック・セレモニーがある。家に入りきらない招待客の数なので、マンションの駐車場や庭を飾り立てて会場にし、客たちは花嫁と花婿が一生美しく幸せであることを祈って、ターマリックを顔や手に塗り、食べ物を口まで運んで食べさせてお祝いとする。ターマリックはカレーの素だ。翌日、翌々日は花嫁、花婿の親がそれぞれ借りた結婚式場で結婚式があった。花嫁さん側の式には、家事の手伝いの人たちも招かれていて、身なりを彼らなりに整えて、隅のテーブルに列席して、楽しそうに心ゆくまでお祝いのピラフを食べていた。翌日には、親しい人たちが立ち会って、お祝い品を開き、花嫁を花婿の家に送り届けて、結婚が成立する。私は合計4日、式に出席したが、お祝いは1回差し上げればいいそうだ。花婿は実業家の家庭の出身でお金持ちなので、彼の家に至る路地、通路、会場となる家の広場はすべて豆電球の花で飾りたて、極楽浄土を再現したかのようだった。プロのエレキバンドも呼んでいた。このバンドがへたでうるさいのに加え、これみよがしに飾り立てたものだから、「洪水で被害にあった人たちが大勢いるのに…」と顰蹙をかったそうだ。花嫁は首が折れそうなほど幾重にも金の飾り物を下げていた。金の重さを量り、価格を計算し、それが花嫁の財産となるそうだ。結婚式場だって、その家の財政状態を示すので、選びに選んで精一杯格の高い場所にしなかれば、「花嫁の親は貧しいので、ミニマムの場所です」などと高級サリーを身に着けたオバサマがたに言われてしまうのだ。花嫁は、花婿がオーストラリアに帰化した銀行マンなので、あこがれの先進国の生活を始めるということだ。

 花婿の家は旧東パキスタンの首都であった場所にあり、アラビアンナイトに出てくるような狭い路地や家並み、豆電球の極楽浄土とは対極の、30ワットくらいの裸電球の地元商店街の生活がお伽話の中に入り込んだような印象で頭に焼きついた。パキスタンの話のついでに、車の中で訊ねたら、ハク氏は、インド、パキスタン、バングラデシュと3回、夫人はパキスタン、バングラデシュ、運転手のコビールさんはパキスタン最後の年に生まれほぼ初めからバングラデシュ人という国籍の経歴を生きていた。

 ある家の前に女性や子どもたちが30人くらい、集まるでもなく集まっている。なんだろうと思って訊ねたら、その家の主は奇特な人で、食べ物を出すので、それを目当てに時間になると人が集まるそうだ。祝いごとでも、特別な日でもなく、食べ物を提供しているということだ。

 今年のモンスーンはダッカだけではなく国中のあちこちを水に埋めてしまったが、洪水の被害に会い、家を追われた人たちは街で物乞いをして生計を立てることもあるようだ。マーケットの広場のあちこちで、女性たちがパンハンドルの手を出していた。新聞には、水の中に投げ入れられる食料のビニール袋を、泳いで掻き集める少年たちや主婦たちの水上に浮かぶ顔の写真が載っていた。夏の海でボール遊びに興じているような光景である。日本だったら、リストを作り、家族数も考慮して、しかるべき場所で手渡すかもしれない。だが善意の人たちが思いついてやってきて、施しをするという現地流では、これが妥当な方法なのだろうか。被災者は暗い事実を述べる暇も惜しんで、われ先にと食べ物を拾い集めていくようだ。衛生状態も悪くなり、死者、病人も出たと報じていた。ハク家でも、手伝いの者を使いに出して、食べ物を現地で配らせ、親戚筋の被災者には、水清浄剤も届けさせていた。

 通学路が水で溢れ、休校になるところもあるようだ。道路も雨の影響を受け、あちこちで水溜りの場所がそのまま穴になり、交通状態を悪化させている。道ばたの水溜りには小魚さえも泳いでいる。膝まで水につかりながら、ほうほうの態で母親が子どもを送り迎えするというのも、庶民のこの季節の登校風景らしい。学校ならいざしらず、仕事の場合はどうするのだろう。それが理由かどうか知る由もないが、銀行も郵便局もやたら効率が悪く、長蛇の列が停滞して進むことがない。だからというわけでもなかろうが、今日は、病院に行く日、今日は郵便局の日、銀行の日と決めて、それが一日の仕事のすべて、という印象を受ける。その分、食べる時間、人と交流する時間は豊富にあり、慣れてくると、そのようなスローライフも悪くない、という気持ちになる時もないこともない。

 ビーマン・バングラデシュという国営の航空会社が機体の都合がつかず日本との運行を取り止めにしたと#8で報告した。それで今回は待ち時間の少ないシンガポールエアラインを利用することにした。懐には痛手だったが、時間的には便利である。帰路の座席確認のためにダッカ市内のオフィスを訪ねたら、そこは高級感に溢れるビジネスの場所だった。気後れの中で、コンピュターに向かう窓口の男性二人を見たら、肌の色が薄く、癖のない英語を話し、洗練された物腰は、ヨーロッパのエリートを連想させた。その建物のエレベーターには、雇用された身障者が「ボタン係」として配されていて、木製みかん箱で作ったような車椅子から、一心不乱に階数のボタンを押していた。

 
グラウンド背後の水をご覧ください

 青々とした田んぼの背景のはずが、今回は水に変わっている。村に行く直前まで校庭や行路の水が問題になっていた。だが何とか行けると踏んで決行。「水の国」バングラデシュの旅の目的地には、いつもと変わらぬ子どもたちのコンサートが用意されていた。子どもたちがくっつきあって写っているのは水のない所を選んで立っているので、休日で全員が出てきていないにもかかわらず、土地が狭いからだ。

 毎回、ノーベル文学賞に輝くタゴールの詩による国歌と「We shall overcome」を英語とベンガリ語で歌うことが分っていたので、今回はタゴールの詩を必死で覚えたのに、現場ではうまく歌えませんでした。努力だけは分ってください。

 「クリエイターズさいたま」のご協力で、2月に子どもたちの絵を埼玉県立近代美術館で展示していただいたのをきっかけに、絵画のクラスが始まった。クレヨン、絵の具、紙は、彼らの絵から作った絵葉書の売り上げから賄われることになっている。アートの教師も週に一回来てくれるそうだ。ただし、当日は彼の加減が悪く会うことができなかった。村の教育係、ホッサンさんの悩みは、彼が地域の基準としては高めの給料を要求していることだ。そしてそれを許すと、音楽の教師も同額の給料を要求してくるのだ。彼は善良な人なので、私に材料費の請求ができず、地元で間に合う物を使うから、と主張する。子どもたちに私の前で絵を描かせ、私が「絵のクラスは楽しいですか」と訊いたら、子どもがうなずいただけの反応では足りず、全員に唱和させるのだ。「楽しいです!」さらに自慢げに続ける。「今は定規を使って絵を描く練習をしている」 なるほど、子どもたちは家の壁や樹の幹を定規でまっすぐ描いているではないか。ハク夫人も、定規を使うので良い先生です、と満足げに目を細めている。

 かつてないほど、村の子どもたちのことが気にかかり始めた。突然ハク夫人が、「経費が大変なので、教師を雇うのは止めにしますか」と言い出した。私を強引にプロジェクトに引きずりこみ、日本の資金で助けてほしい、と始めたハク氏の初心はどうなったのだろう。本人は老齢で、ただプロジェクトの成功を喜ぶばかり。「もう少ししっかりと、リードしてください!」とカツを入れたいところだが、人は当てにできない。8年の経過にはこのような士気の低下も含まれていたのだ。今、何かの手を打つ時であるように思われる。ナラヤンプール村の小学校は地域ではステイタスの高い学校に成長したが、だからと言って、給料を言われるままに値上げしていいものだろうか。日本人の資金が入っているからという理由で、ふっかけられていないか。ハク夫人にも強く言い始めた。「物やお金をあげて、終わりにしないでください。田舎の子どもでも、教育水準を落さないでください」私が必死の思いで言うのに、彼女は高い地位に生まれエリートの生活しか知らないので、田舎の子どもたちが、彼女の子どもたちと同等である、という気持ちになれない。労働や我慢を不要に課せられるくらいなら、物を与えてアラー神の前に自分の徳を積み、さっさと終わりにしたほうが賢明な選択である。ただ、ホッサンさんも含め、皆、8年の年を加えたのは、まぎれもない事実だ。かつて彼女も「教師の給料をなんとかしてほしい」とハク氏が倒れた年に頼んだことがあったのだから。状況を正しく把握するためには、ハク夫妻を跳び越して、ホッサンさんと話合うことが必要になってきたのかもしれない。バングラデシュは好況でインフレが進んでおり、給料の値上げは当然のこと。私がその事実を把握できず、否定的に考えていることもありうるのだ。初心に返って、校舎を建築した時に、仕事の合間に労働を提供して経費を節約してくれた村の人たちを信頼し、好きになることにしよう。

 ハク氏が大使だった時にロータリークラブの資金を頂戴し、それで村に簡易チューブの水道があったのだが、そこから砒素が出て、汚染されていない水の確保が必要になった。洪水が引いたら、村のだれもが使えるように校庭に井戸を作ることになっている。

 かような想いを抱えながらダッカに帰った翌日、国の文部省の役人が視察に現れたそうだ。視察官は600箱のビスケットの山を目に止めた。前日は休日だったために、子どもたちの人数が揃わず、ダッカから準備していったビスケットは翌日の楽しみとして教室に山積みになっていたのだ。ホッサンさんからさっそく報告の電話が入った。視察官は話を聞き進むうちに、私たちのプロジェクトにいたく感動して、文部省に写真を飾りたい、と申し出たそうだ。さらに、みずからの手で、ビスケットを配ってくださったそうである。ハク夫人も感激。よかったね。私は「はずかしいですから、辞退します」と言った。ハク夫妻、ホッサンさんの写真を飾ってもらい、必要なプロセスを踏んで彼らが表彰されたらいい、と思う。特にホッサンさんが自分の名誉にかけて無償で労を重ねたことを考慮すれば、今こそ光を当ててあげたい。だが、お役人の賄賂天国の記事をネット新聞で読んでいる日本人の私は、「お金を要求されないだろうか」と警戒してしまうのだ(スミマセン)。
 あれこれつまらないことを書き連ねたかもしれない。今までひたすら走り進んだ行程があるターニングポイントにきて、自分の気持ちが変化しているのかもしれない。紆余曲折はあるのが現実。克服しなければ、と汗を流し、神経を使うのは、「子どもたちの教育の質は落さないで!」という願いがあるからだ。

 
全員集合は無理でしたが、今や、自信に満ちた女性たちの表情をごらんください。

 マイクロクレジットの元となっている女性たちの積立金と私の提供金、手数料3%の合計が2倍以上になった。そのお金を、女性たちは必要に応じて借り、返済する。

 リーダーの女性が言った。「このマイクロクレジットはほんとの成功例だと思います。返済できなかった人が今までだれもいない。入会したい人が大勢いるが、人数が増えると私の手に負えないので、ことわっている。可能なら、他の人を頼んで別枠でプログラムを作ってほしい」このリーダーさんがいたから、成功しているのだ。彼女は給料の値上げもビジネスライクに要求するが責任も果たす。言うなれば、ホッサンさんはいい人、彼女はしっかりした人だ。ふっかけることもないから、彼女の基準に照らして、教師の給料の額を見積もることも可能ではないか。すると、彼らの要求額もふっかけ、とまでは言えないかもしれない。次に問われるのは自分の姿勢だ。資金係としては、青息吐息という事情があり、出費ということに神経質になってしまうが、その態度は充分な責任を果たしていないかもしれない。まずは妥当な金額を人に保証する、それが役目であるように思われる。
 私が反省する傍ら、またハク夫人の目が驚きで丸くなる。「お金は女性たちにあげますね」と当然のごとく言う彼女に私は青筋を立てて反応するのだ。「アゲマセン!あげるのは仕事だけです。もらうことに慣れて、自分を磨かなくなります!貸したお金は約束どおりカエシテモライマス!」貸出金も半年毎に僅かながら増えている。借りたお金はいざ知らず、リーダーさんの給料までは払いたくない、とショミティの女性たちは思っているらしいが、やがてその給料もこのプロセスの中から賄えるようになってほしい。3年を目処に自立というゴールを設けよう。

作業場の風景とショミティの作品
 ショミティのトタンの屋根と壁の仕事場は息と汗が充満している。若い人たちがこのプロジェクトに通ってくるが、前回、彼女たちの粗雑な仕事を指摘して、インストラクターの給料を減額にする、と脅してきたら、その回に届けられた製品は丁寧に作ってあった。五種類のサリーからできた、マット類、ワインボトルのケースなどの製品は布の楽しさを伝える品質である。ホッサンさんの奥さんも心配してチェックの作業に加わったそうだ。一度に渡すと混乱するので、後の仕事はダッカにおいて、始めの仕事ができあがったら交換に渡すことにしてあった。ほんとの理由はわからないが、ダッカから届いた理由では、女性たちは農作業が忙しい、その後は雨で交通の便がない、というものだった。仕事ができていれば、その分の支払いもできたのに。
 だが、子どもたちの絵葉書に触発されて、女性たちはやる気になった。自分たちの作品も陽の目を見ることがあるという希望と現金収入。それでも、なにか不安で村のテーラーを呼んであった。
 今回託してきた作業は、ティーコゼー、マガジントート、サリーのバッグなどだ。順調に進めば、手仕事も加わったので、支払額は今までの2倍になる。
 リーダーさんが、いつまでに送ったらよいか、と聞いてきた。今まで、女性たちの忙しさを述べてなるべく長い期間を確保したがっていた彼女の言動からすれば、縫製の監督にも自信がついたのかもしれない。「展示会の前に届くように」
だが、彼女たちが野作業の合間に一生懸命作っても、ダッカに長く止まっていることもある。「テーラーがパックしてくれない」という理由だ。郵便局の窓口に、木綿で包んで縫い合わせた荷物を持って行くのだが、それって針と糸を使うから、確かにテーラーの仕事だよね。仮にこちら側がスムーズに運んでも、スピードを謳ったEMSで、3週間、という遅配が10回に1回くらいの割合で起こる。バングラデシュに関るなら、かくなる瑣末なできごとにいらだってはいけない。なんだかんだ、と言ったところで、トレイディングを立ち上げての5年間をなんとかやってきたのだから、こんな文句も「ある種」の平和ボケかもしれない。
 

ワックスの型押し作業

ノクシカタの手仕事が洗われて仕上げ段階

 生産はナラヤンガンジという場所に本部を持つ、ある企業に依頼している。その昔東インド会社があったころに栄えた場所で海に続く大きな川を抱えている場所である。川は排水により汚染されているのか、濁っていて、あたり一体の匂いを集めながらどろどろと流れている。ここには、衣料品の工場が集中しているので、行きかうトラックは山のように布くずや布に関連する物を積みこんで、車で渦のようになった交差点でまた渦を作っている。300年前にはどのような交易の風景があったのだろうか。
 大通りを過ぎて、レインツリーの道を進んでいくのだが、その道路沿いでは、季節の果物や野菜を売っていて、パキスタン時代の面影を残した街並みの中で、目に楽しい旅でもある。今回はマンゴーのシーズンで、青々としたマンゴーが路上に並んでいる様を、まさに異国情緒の味として満喫できた。心配した洪水は私たちの動く範囲では問題なく、あちこちに増水した水嵩を見たものの、雨の中をダッカから1時間半走行して、無事に工場に到着できた。
 この企業は手仕事では芸術的な製品を生産する所だが、裁縫に関してはまだ経験が浅く、日本を市場とするには、もう少し、というネックをかかえる。だが、縫製の品質があがれば(あがってなくても)、数を企業並みに注文せよ、という圧力があるので、それも私には辛いところだ。だが、手仕事をふんだんに取り込んだ製品の魅力も捨てがたく、それに加えて個人のテーラーでは不可能だということが経験で分っているので、「よし、がんばるか」と思うしかない。
ノクシといって布を刺し子にした絹は一巻き作るのに3年くらいかかるそうだ。その素材でブラウスの生産、今回は11号サイズができました。人の手になる贅沢、是非愛しんでください。気持ちがいいと思って夏に手放せずにいた手織りの綿は、後日新聞の記事で読んだら、ガンジーが独立運動の時にスローガンにしたそうだ。「インド人は手織りの綿を着よう」手織りのでこぼこが汗を吸い取ってくれるので、熱帯の気候には適しているのだ。肌触りのよさに誘われて、季節的には逆行するものの、また生産を依頼しました。白い綿に白い手刺繍のブラウスです。シルクのタイプも作りました。男性用のシャツもシルクと綿20%混合でできてきます。茶系と紺系で、地元の草木染をブロックプリントにして、渋いシャツにしてもらいます。お楽しみに。
この生産現場も洪水の影響で、仕事が滞り、4ヶ月前に注文した品物が未だに進行中です。

 
 浅野博之さんという方が、援助を申し出てくださいました。小学校の先生のお給料、というお申し出でしたが、この部分はサクラ・モヒラに関る大勢の人たちが楽しみにしている部分なので、大学生2人の学費・及び生活費の面倒を見ていただくことになりました。村のホッサンさんがそれとなく援助してきていた、優秀な2人の青年です。村で会ってきたのですが、2人とも嬉しくて、嬉しくて…宇宙遊泳のようにして歩いていました。今は彼らに課することは何もありませんが、日本からの善意が花となり、芳しい実を結んでくれるように願っています。進展をお知らせします。
面接風景と2人の大学生

 若い人からちらほらと活動の問い合わせが来るようになりました。「なにがよくて」と当事者としては頭をかしげてしまうのです。金の装飾品をじゃらじゃら買えたくらいのお金は遣ったけれど、幸運どころか来るのは給料値上げの要求くらい。でも、不幸と思うどころか、神が導いてくださっている、という気持ちになります。どうして私なんかがここまで続けられたのだろう。落ち込むたびに、必ず助けの手が差し出されたのも事実です。価値のあることなら、神(アラー神でなくてもいいけど)が続けなさい、というに違いない。と、深く考えることは止めにして、若い人が引き継いでいけるように土台だけは築きたいと考えています。いつも、ご支援、感謝申し上げます。

 
 過去のレポートは、http://www.sakuramohila.com/about/report.html でお読みいただくことができます。ご連絡くださればプリントでお送りします。
展示会予定:
2007年10月14日(日) 15日(月): Cafe Biene  行田 048-549-0189
2007年11月 2日(金)〜7日(水): イノセントアートギャラリー&カフェ「寧」
 伊奈町大針635-4
 http://nei.main.jp/
048-723-7371
2008年1月26日(土)〜30日(水): Cafe Gallery SHINE
 与野西口駅前
048-833-1045
日取りは未定 東久留米スペース105  
 
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